「R-TALK Interview」は、病気の経験をした方にインタビューを実施する。病気という否定的な経験をどのようにして肯定的に消化していったのか、そのプロセスを明らかにし、肯定的な変容に資する「快復のコツ」を収集することを目的とする。
「R-TALK Interview」でなされる質問には理論的な背景を用意することとする。学術的な質を担保して後々の活動に学術的な広がりをもたせる余地を確保するためである。理論的な背景として「教育工学」「人材開発理論」「組織学習論」などの業績に基づく。
「教育」や「学習」に関わる理論を用いる理由は、「R-TALK Interview」が病気の経験をキャリアとして評価することを目的とすることにある。「R-TALK Interview」は以下の二つの理論的仮説を立て、その検証として行われるものである。
1 病からの「治癒」は経験の変容としての「学習」と一致する
2 「治癒」を経ることで人は変容期に有効な技能を「学習」する
「ペダゴジー」(子どもの学習)と「アンドラゴジー」(成人学習)という対概念がある。子どもの学習は空白に次々と書き込んでいくプロセスに喩えられる。したがって、教える側から教わる側への一方的な教授がペダゴジーである。それに対して、成人の学習はすでに学習した(書き込まれた)経験が前提になる。新たに習得するばかりではなく、過去に習得した経験を再度読み直し、書き換え、再編集していく作業が重要になる。したがって、アンドラゴジーは自己変容的な学習と言われる。
アンドラゴジーにおいては、過去に重ねてきた経験を、現在の状況の変化に照らし合わせ、振り返り、ときに手放し、現在そして未来に適合するように組み直していくプロセスが学びの意味を生成するものとして理解される。
とはいえ、言葉でいうほど簡単なことでもない。いままでの経験を見つめ直し、ときにそれを棄て去るというのは、やはり自己を否定する難しさがある。しばしば「過去の成功体験が最大の落とし穴になる」と語られる通りだ。
だが、環境変化のスピードはますます加速していく社会にあって、やっと身に着けた技術もあっという間に陳腐化して、使いものにならなくなっていく。身に着けたものは手放して新たな能力を習得していく、そのサイクルを高速で回すことは、この時代の学習者には避けて通れない。
さて、大病は前触れなく訪れる。生活は一変する。人は否応なく自分の生活と過去を振り返ることを迫られる。手放さなければならないものに気づき、手に残るものを数え、新たに手にするものを認めていくことになる。
快復の途上にあって、初めにあった大きな喪失と苦痛を受容して、現在の自分を理解し、未来を生きるための新しい人生を紡ぎ、編みなおしていく。それを「治癒」とするのなら、それはまさしく「学習」のプロセスではないだろうか。「治癒」は「学習」に一致するとする「仮説1」はここに導かれる。
変化が激しさを増していく現代社会では、つねに学びつづけ、新しい環境に適応し、時代遅れの古い技術を手放していく、そして、逆境に耐えて、困難を乗り越えていく能力が求められる。だからこそ、強制的に手放さすことをしなければならなかった、そして、そこからの快復を遂げた人間の経験には学ぶべき価値が宿ることを証明したい。変容に資する能力を病の経験から学習するという「仮説2」はここに依拠するものである。
「R-TALK Interview」の先行事例としたものが、浜屋祐子・中原淳両氏による『育児は仕事の役に立つ 「ワンオペ育児」から「チーム育児」へ』 (光文社新書)である。
「育児とキャリアは両立しない」「育児と仕事はどちらかを選ばないといけない」というのが、いままでの常識だった。子育てはキャリアにとって否定的な要素でしかなかった。しかし、この著作は「育児経験が、リーダーシップ促進など、ビジネスパーソンにポジティブな影響を与える」と、育児を肯定的な要素として描くことを目的としている。
同様のことは、「闘病」にも言えるのではないだろうか。その問いが「R-TALK Interview」の原点にある。病気という経験を経ることで健康な人にとっても価値を提供できる能力を獲得することを示したい。
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病気経験者にインタビューをして、その経験を収集するリサーチは過去にも存在する。たとえば「ディペックス・ジャパン」が存在する。だが、これまでの研究は病気を治療の対象としてとらえ、ケアされるべき体験として意味づけてきた。そのため、病気の経験の分析も医療の文脈、医療の言語でなされてきた。
しかし、それでは、病気と健康の間にある壁を上書き強化することはあっても、両者の間の対話とブレイクスルーを生みだすことは難しい。たとえば、病気経験者の社会復帰、なにより就労に際して、ケアの視点しかもちえない医療者の働きかけは、健康サイド、雇用者や職場同僚に対して「配慮」を多く求めがちであり、それが復帰を困難にする原因ともなりえる。就労とは双務的な関係であって、病気サイドの人間であっても、働くとなれば健康サイドの立場を受けいれつつ、健康サイドへと価値を提供していくことが求められる。
病気の経験をキャリアと位置づけることの意味は、病気をしたことが健康な人にとっても有益な価値を提供できる可能性になることを示すためにある。病気サイドが健康サイドに利益のテイクを求めるだけでなく、病気サイドが健康サイドに利益をギブできる関係性をつくるためである。
病気と健康の間の壁をブレイクすることにイノベーションの萌芽を期待する。それが、「医療モデル」ではなく、「教育モデル」「学習モデル」に基づいて「R-TALK Interview」を実施する理由である。
「R-TALK Interview」で用意する10の質問について、以下でその理論的な背景を説明する。
卒業、就職、結婚、人生に訪れる転機を「トランジション」と呼ぶ。学生から社会人へ、一般職から管理職へなど、トランジションはキャリアにおいて本質的で重要な局面である。ウィリアム・ブリッジズによれば、トランジションは「何かが終わるとき(そして、始まるとき)」である。すべてのトランジションにははじめに喪失や手放しが起きている。したがって、この問いでは、健康から病気へというトランジションにおいて、はじめに何が終わったのかを明確にすることを目的とする。
レイヴ&ウェンガーによれば、学習は「状況に埋め込まれて」いる。新しい環境に足を踏み入れた人間は、その環境に既に存在している人やものと新たに出会い、関わりを重ねていくことで学んでいく。ここで学習とは共同体への参加のプロセスと一致する。それを「正統的周辺参加」のプロセスと両者は名づけた。病気の経験を健康な人たちの社会を離れ、病気を共有する人たちの社会へと参加していく過程として考えるとすれば、新参者の「病人」が、共同体の古参者と関わることで、どのような気づきを得ていったのかを確認するための問いである。
古いアイデンティティが消失するトランジションのプロセスは、慣れ親しんだ自分を手放し、まだ見ぬ誰かへと辿りつくまでの迷いの時間、つらく厳しい時間である。ブリッジズによれば、このとき、経験を共有する「ダイアローグ」(対話)が重要である。対話には、自己自身への振り返りを生じさせ、過去の信念や価値観に変化が導く力があるからだ。しかし、未知の自分の在り処を示してくれる出会いは、既知の慣れ親しんだ人間関係からは実はなかなか訪れてはこない。「弱い紐帯の強さ」として知られる理論であるが、そこで、出会いが予想外のところから訪れたかどうか、その予想外の偶然をどのように受け止めたかも確認しておきたい。他者との対話が困難な経験を受容するために効果的であったかを確認することを目的とする。
人は学習を「モデリング」から始める。「憧れの人のようになりたい」という意志は内発的なモチベーションを生みだしもする。ただし、あまりに憧れの強い存在、遠くて大きすぎる存在はすぐにモデルにできるわけではない。そのとき、現状の自分と憧れの存在の間で、小さな一歩を細かく地道にステップアップしていく反復が必要である。ヴィゴツキーが「発達の最近接領域」と名づけた、この一歩を、どのように踏み出していったのか、心折れそうになるときにどのようにしてモチベーションを維持していったのか、具体的な実践について確認したい。
「成人の学習」(アンドラゴジー)とは、既に身に着けた知識や技術を新しい環境、新しい局面に即して、振り返り、点検し、再編していくことで生起する。病気という環境の激変に適合して、どのような経験の組み直しがなされたのか、すなわち、病気になる前の知識や経験が病気になった後、どのように活用されたかの事例を確認したい。ここでも、そのトランジション=キャリアチェンジに偶然がどのように関与しているか、「弱い紐帯の強さ」の効用についても確認したい。
努力をいくら重ねても、そこに手ごたえを得られなければ、人は意欲を失っていく。反対に、すこしでも手ごたえ(自己効力感)を感じられれば意欲を高めていくこともできる。「どうせ何をやってもムダだ」と否定的に受け止めるか、「小さな変化でもやってみよう」と肯定的に受け止めるか、その認知の仕方、すなわち「マインドセット」の有り方が、そこには大きく関わってくる。病気の経験を乗り越えた人は、自身のマインドセットをどのようにして柔軟に保ち、どのようにしてレジリエンスを遂げてきたのか、そのコツを尋ねたい。
病気の心身には、できることもあれば、できないこともある。その限界を冷静かつ客観的に見つめる「メタ認知」の能力は病気と共に生きるためには必要不可欠である。病と共生するための心身の調整能力は、自己自身の取り扱いにかけてはプロフェッショナルな「わざ」である。職業的熟達者(プロフェッショナル)の「わざ」を分析したドナルド・ショーンによれば、その道のプロフェッショナルは、仕事を実践しつつも、自己の現状をメタ的に認知しつつ、オンタイムで調整していくプロセスに長けている。ここで「省察的実践」と名づけれた熟達者の「わざ」と病気経験者のなせる「自己への配慮」には通底するものがあることを明かしたい。
いざというとき、周囲に助けを求める「ヘルプシーキング」を容易にするために、日々心がけていることに焦点を当て、そのコツを聞きだすことを目的とする。家庭や職場で、人間関係やインフラをどのように整えているのか、その際に気をつけていることは何か。それは、周囲との連携をスムーズにするための、対外的なネゴシエーションやリーダーシップに関わるスキルであり、リスクマネジメントのコツでもあり、実現したい未来を手にするためのデザイン能力でもある。病気に対処することを通じて、リーダーシップやキャリアデザインのスキルが高まる可能性について確かめていきたい。
人間個人が周囲環境の変化に影響され、変容を余儀なくされるも、変化に対応しつつ、環境を変容させるための能動的で新しい技術を生みだしていく、この一連のプロセスをエンゲストロームは「活動」と名づけた。病気という大きな喪失体験を経ることで、どのような「活動」が生起し、結果としてどのような能力を新しく得て、その人だけの「強み」と言える能力をどのように開花させたのかを明らかにしたい。あわせて、病気の経験者が自分だけの「強み」と言えるユニークな技術を得たことで、心理的にどのような変化を遂げたかについても確認する。セリグマンらの「ポジティブ心理学」によれば、自分だけの「強み」を活かすことは幸福感を増すために大きな効果があるからだ。
「ロゴセラピー」を生みだしたフランクルによれば、人生の意味とは、人生から問われる問いに応えることによって与えられる。人間は人生から意味を与えられるのではない。人生から問いを問われ、その答えを引き受ける責任にこそ人生の意味は宿るのである。病気というトランジションを経てのアイデンティティの変容(自己像や信念・価値観の変容)は、人生からの問いへのひとつの答えではないだろうか。病気を経て、人はどのような答えをするのか、その答えを「変容的学習」として記述したい。